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久々の選択理論ネタです。

選択理論の目的は、人間関係をより良いものにすることですが、単に良くするだけではだめです。

より良い人間関係に必要不可欠なものは、「自分と相手は異なる存在であること」を認識することです。

自分がこのように感じるのだから、相手も同じように感じるはずだ。
・・・と考えてしまうと、人間関係は悪化し、幸せからは遠のいてしまいます。

例えば、私と妻の上質世界は全く異なります。
そして幸せなことに、私と妻は上質世界を尊重し合う関係を築き上げることができています。

具体的には、妻には料理を作ることは上質世界には入っていません。
しかし、私の中には料理を作ることがしっかりと入っています。

一方で、妻の中には掃除が入っており、私の中にはあまり入っていません。

そのため、家では料理は私がやり、掃除は妻がするというルーティンワークが簡単にできました。

人間関係で大切なことは、「自分が正しいと思ったことを相手に強制しないこと」です。

そのためには、「私が正しいと思っていることと、相手が正しいと思っていることは違う」ということをしっかりと意識の中に入れておくことが必要不可欠です。

これを心理学用語では「自他境界」と呼びます。

つまり、「私は私、あなたはあなた」です。

メンタルが崩れてしまいやすい人の特徴として、この自他境界があいまいな人が多いということです。

そういう人は相手の意見と自分の意見を混同してしまい、「あの人が思ったように行動をしないといけない」「自分が思うんだから、あの人も思うはずだ」と思い込んでしまって、人間関係が悪化してしまいます。

人間関係が悪化すれば、メンタルは崩れてしまいます。

カウンセリングの目的の一つは、自他境界をしっかりと確立するということにあります。

グラッサーは「選択理論は責任ある世界だ」と断言しています。

責任とは相手と自分がしっかりと立て分けたうえで成立するものです。

自分と相手は違う存在だが、だからこそお互い尊重し合おうという考えの元で幸せは成立するのです。

ぜひ、自分も大事にし、相手も大切にする、そういう人間になりたいものですね。

選択理論の目的はそこにあると思います。

ちなみに、選択理論心理学会神戸支部は2016年11月27日の日曜日、午後13時30分に神戸勤労会館の4階応接会議室で行います。

http://www.kobe-kinrou.jp/shisetsu/kinroukaikan/index.html

参加費は1000円です。

選択理論に関する疑問や思いを吐き出して、一緒に考え合うことを目的にディスカッションを行う予定です。

興味のある方は、右のメールフォームより、ご連絡ください。
(会場都合で10名までです)




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2016.11.16 Wed l 選択理論 l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか。

今回は問題行動と適応行動についてお話ししたいと思います。

私たちは相手が自分自身にとって不快な行動を取った場合、それを「問題行動」として捉える傾向があります。

例えば、親が子どもを起こった場合、子どもは黙りこくるか言い返す行動を選択することが多いです。
この黙りこくる行動を「拗ねる」、言い返す行動を「反抗的」と捉えてしまいがちで、そうした行動を親は「問題行動」として捉えます。

その問題行動を正そうと口うるさく注意・叱責しても改善されず、「あんだけ言ってもまだ同じことをするか」と余計に親としては腹立たしい気持ちになります。
そこで、子どもを改善するためにカウンセラーや専門家に相談したり、精神科で薬を処方してもらったりすることもあります。

しかし、子どもの行動を「問題行動」と捉えている以上、問題は改善することはほぼありません。

子どもに自身はその行動を問題とは思っていないからです。だから、親が問題だと思って変えようとしても、反発して変えようとしないものなのです。

私がカウンセリングをするとき、問題行動を起こしている人はいないと考えて接します。
代わりに、「適応行動を取っているのだ」と考えるようにします。

例えば、人は自分の常に頑張りたいという欲求を持って生きています。
その頑張りを否定されないように、人はいろんな行動パターンを持っています。

頑張りを否定されて黙りこくる子どもは、もしかすると何か言ったら、さらに言い返されるのがわかっているから言わない「選択」をしているのかもしれません。
自分の身を守るという視点でいえば、立派な適応行動の一つだと思います。

嘘をたくさんつく子がいますが、親に怒られそうなときに嘘をつくことが多いものです。
適応行動という点から見れば、自分を守るためにしていると考えることができます。

ただ、こうした適応行動が、社会で生きていくものに適したものとは限りません。

そのため、もっと適切な適応行動ができるように支援していくことが大切なのです。

こういう視点で子どもたちと関われば、もっと柔軟に子育てができるんじゃないかと思います。



2016.11.12 Sat l 夫婦・親子・家族 l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんにちは。久しぶりの投稿です。

今回は「心が病みやすい人」についてお話ししたいと思います。

心が病みやすい人の特徴は、「自分しか見えていない」ということです。

私たちは社会的動物で、周りの人の貢献しているという感覚を求める生き物です。
絶えず、誰かと関わりあうことが私たちの心の安定には必要不可欠なのです。

そのためには、周りのことを大事にし、相手が大切にしていることを尊重していくという関りが必要です。

しかし、それよりも「自分ことばかり」に目を向け、「自分だけが幸せになればいい」と考え続けていると危険です。

自分の利益だけを求めて、相手を犠牲にし続けると、やがて「相手を傷つけても自分だけは幸せになる」と思うようになってしまいます。そうなると本当に危険です。

確かに、幸せになる方法としては最短距離ですが、自分から人が離れていくため、やがて不幸な人生に進んでしまいます。

心が病みやすい人ほど、「自分は正しい」「自分のやり方でしか幸せになれない」と自分の世界に固執してしまっている傾向があります。

そうではなく、「自分だけではなく、周りの人も幸せになってほしい」と願って生きるとき、心は必ず健康なものとなっていくのです。
まずは、自分の理想を追い求めるのではなく、目の前の大切な人に目を向けることが心を病むことなく、また心の病を治していく中でとても大切なものであると思います。

2016.11.05 Sat l メンタルヘルス l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんばんは。

いかがお過ごしでしょうか。

昨日しくじり先生で杉田かおるさんが出ていました。
見た感じ、ロンドンハーツの頃よりも大分穏やかな表情だったと思います。

杉田かおる先生のお話を聴いて思ったことは、人間我を出しすぎてはダメなんだなあということです。

我を出しすぎると必ずしっぺ返しがあります。

私も同じタイプの人間なので、うまく行けば行くほど調子に乗ってしまい、人の話を聴かなくなってしまう傾向があります。

誰かが私のことを思っていってくれることって、必ず耳障りの良い言葉ではありません。

耳の痛いことばかりです。

しかし、そうした言葉を「うざい」「うるさい」「文句言うな」と捉えてしまい、却って人とのつながりを切ってしまうと、必ず心は貧しくなり、大きなしっぺ返しを食らうことになります。

また、人間って愚かなもので、しっぺ返しを食らって反省しても、また軌道に乗ってしまうと忘れてしまうんですよね。

杉田かおる先生が中学生の時に300万円の借金をしても、1億円の借金をしても、自分を立て直すことができたのは、その時にしっかりと反省をしたからだと思います。

しかし、またうまく行きだすと忘れてしまい、自分勝手に生きてしまい、痛い目に合ってしまう。

杉田かおる先生のしくじり先生の講義は、私たち人間が本当に気をつけなければいけないところ、常日頃何を思うべきかを教えてくれたと思います。

最後に言っていた「自分が変われば周りもおのずと変わる」は本当に選択理論的ですね。

まだまだ、それができているとは思えない自分ですが、そういう人間になれるよう、自分自身を戒めながら生きていきたいと思います。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。
2016.10.11 Tue l メンタルヘルス l コメント (0) トラックバック (0) l top
こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか?

最近は「嫌われる勇気」について考えたりしています。



「嫌われる勇気」という言葉を称賛する人と、嫌悪する人の両方がいますね。

私個人の見解としては、「嫌われる勇気」という言葉はどうかなあ・・・って感じです。

だって、嫌われるって相当苦しいですよ。

私は人間関係で、思いっきり嫌われた経験が何度もありますが、あの居場所が思いっきりなくなってしまって、自分でもどうしようもない無力感は相当なストレスでした。

自分を嫌っている人がいるってだけで、かなり苦しいものがあります。

なので、自分から「嫌われる勇気」を持つなんて嫌だというのが私の見解です。

ただ、「人から好かれよう」というのもあまり好きではありません。
人から好かれるようにというのは、これは外的コントロールです。

相手が「自分を好きになるよう」変えていくというニュアンスを含んでいます。
アドラー心理学的に言えば、神経症的な行動です。
これらの共通点は、「自分ではどうしようもできないこと」ばかり見ようとしてしまい、結果としてストレスをため込んでいるということです。

だから、最近は「人から好かれなくてもいい勇気」というぐらいが私にはしっくりきます。

ちなみに、「人に好かれなくてもいい」=「自分勝手に生きていい」という意味ではありません。

人に好かれなくてもいいということは、
今ここで自分にできることを実践していくということ。
人の評価に左右されないで、自分ができることを見つめ続けるということ。


ただし、周りの人の助けになるようにほんの細やかなお手伝いはし続けること。
お互いに助け合うこと。そこに見返りを求めないこと。


上記は全てアドラー心理学でも選択理論心理学でも言われていることです。

まあ、「人に好かれなくてもいい勇気」も「嫌われる勇気」も中身としては一緒なんですけどね。
ただ、ニュアンスとしては「好かれなくてもいい」という方が自分には合っていると思います。

でも、「嫌われる勇気」というのはやはりインパクトがすごいですね。
やはりこういうタイトルというのはマーケティングの世界ではかなり大事だと思いました。
2016.09.30 Fri l アドラー心理学 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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