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私たちが生きていくうえで、「正しいこと」と「間違っていること」は割と明確に区別されていることが多いです。

私たちがよく耳にしている言葉として「正しいことをすれば必ず良い結果が生まれる」というものです。
例えば、人助けをすればそのお返しが自分に返ってくる、努力をすれば必ず上手くいく、責任ある行動をとれば必ず人がついてくる・・・などなど。

ちょっと抽象的ですが、私たちの多くは子供の頃から、両親や先生といった周りの大人から「正しいこと、良い行動をとれば必ず上手く行くし、その努力は報われるんだ」と教えられています。

しかし、これは半分は正解、半分は不正解です。

適切な表現は「正しいことをすれば、良くなる可能性が高くなる」です。もちろん正しいことをしても上手くいかないことは大変多いです。
罪を犯さない生き方をしても、人生が楽になるとは限りません。
また、一生懸命勉強をしても大学や試験に必ず受かるという保証はありません。
ただ、成功する可能性が上がるだけです。
しかし、失敗しても悔いなく人生を送る可能性は上がります。

ただし、間違ったことをすれば悪くなる可能性が高くなります。
具体的な例を挙げれば、犯罪を犯せばその分自身の人生を棒に振る可能性が高くなります。
カンニングをして大学や試験に合格することもありますが、その分見つかって強制的に不合格になる可能性もあります。また無事に合格したからと言って、それに見合った実力がついていなければ、上手くいかなくなる可能性が上がります。
さらに心にしこりを残したまま生きていく可能性も増えてきます。

どちらも決定論ではなく可能性の問題なのです。
あなたはどちらの可能性を選択したいですか?
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2012.06.30 Sat l メンタルヘルス l コメント (0) トラックバック (0) l top
現在、私はスクールカウンセラーとして中学校に週2日勤務しています。

スクールカウンセラー(以下SC)とはいったいどのような人だと思いますか?

一般的には学校でカウンセリングをする人ですが、欧米と違って困ったことがあればすぐにSCのもとに行くという生徒や保護者はほとんどいません。
(これは悩んでいるからすぐにカウンセリングを受けようと思う人があまりいないのと一緒です)

大体SCが会うのは不登校・保健室登校の生徒や子供との関係が非常にぎくしゃくしていて悩んでいる保護者といったように、自分ではどうしようもないほど追いつめられた状態になっている人が多いです。

SCの役割とはそうした人たちにカウンセリング等の心理の専門家としての援助を行うことです。


しかし、私個人としては「これだけでいいのか?」という思いがあります。

例えば、一日中カウンセリングをしてばかりのSCははたして学校にとって役立っていると言えるのか?
確かにカウンセリングを受けた生徒や保護者に役立っているという点では大切だと思います。
しかし、カウンセリングをずっとしていて学校の先生と関わる暇がないというのは私としては本末転倒な気がします。それは相談室にこもっていて教員とコミュニケーションをとらないのと同じではないかと思うのです。


これは私個人の考えですが、不登校や発達障害、いじめ、学級崩壊などの新聞を賑わせている問題はSCが動いたからと言ってどうこうなる問題ではありません。
むしろ、SCが主導でこれらの問題に対応したために、よりこじれてしまってどうしようもならなくなったケースは結構多いです。(私自身の経験も含めてですが)

これらの問題を解決するために必要なのはSCが行うカウンセリングではなく、学校の先生の努力や踏ん張りです。

あきらめずに教職員が腹を括って最後まで取り組む姿勢が学校の問題をより良いものへと改善させます。
SCとはその先生の頑張りを支え、先生や保護者が真剣に子どもと向き合い、子どもがより良く成長できるように促していくことではないかと思います。

つまり、SCとは子どもが学校の中で少しでも安心して成長できるように支えていく存在であり、決してカウンセリングをするだけの存在ではないというのが私の考えです。
SCのカウンセリングが子どもを支えるのではなく、教職員と保護者、クラスの仲間たちの存在が子どもを心から安心させることができ、それが大きな支えとなるものです。SCはそれを少しでもスムーズにできるようにすることではないかと思います。

以上は、私のSCの経験からの個人的な考えです。
もちろん、カウンセリングを主体として子どもを支えていこうとするSCもいますし、それ自体は全く悪くないことだと思います。カウンセリングを受けることで気持ちが和らぎ、安心して「今するべきこと」に集中し、問題が解決することもよくあります。

誤解のないように言わせていただくと、「カウンセリングだけではSCの活動に限界がある」というのが私の考えです。

これは私個人の見解ですので、ご意見やご感想等ありましたら是非また教えてください。


2012.06.28 Thu l スクールカウンセリング l コメント (2) トラックバック (0) l top
前回(カウンセリングでは原因探しをしません)の続きです。

「なぜ?」ではなく、「何?」という質問を使うことで人間関係に大きく役立ちます。
例えば、部下が仕事でミスをしたとします。

上司が部下を叱責する際、大体はこういう言い方をすることが多いのではないかと思います。
「なぜ、そんなミスをしたのか?」
「なぜ、書類をしっかりと確認しなかったのか?」

想像してみてください。皆さんが部下ならどのように答えるのでしょうか?
ちょっと続けましょう。
部下「すみません。」
上司「すみませんじゃなくて、なぜそんなミスをしたのか聞いているんだ」
部下「しっかりと確認したつもりだったんですが」
上司「じゃあ、なぜミスが起こったんだ?」
・・・

この場合、原因を究明してもしっかりとした答えは出てきそうになさそうです。
多くの方は「なぜ?」という質問を使ったことで、納得いく結論が出なかったという経験があるのではないかと思います。
(自分の子供に対して、夫婦に対して、生徒に対して、部下に対して、友達に対して、などなど)

この時に私たちがしないといけないことは、原因を知ることではなく、今「何」をしたのかを確認し、「どのように」すればいいのかという解決策を見つけることです。

誰でも間違いを起こすことはあります。
程度によりますが、間違いを犯した時に必要なのは「なぜ」と原因を探すのではなく、今できることを探していく姿勢ではないかと思います。

上述の例でいえば、どう部下が、会社がミスしたことを修復するためにできることに取り組むことではないかと思います。

そのために、私たちは「なぜ?」という言葉を使わないで、代わりに「何」をしたのか、「どのように」すればいいのか、を聴いていくことが大切ではないかと思います。

このやり方は人間関係の改善や問題解決に大きく役立つと思います。

リアリティセラピー神戸勉強会は今週日曜日(7月1日)です。皆さんのお越しを心よりお待ちしています。
リアリティセラピー尼崎支部勉強会
2012.06.26 Tue l 人間関係 l コメント (0) トラックバック (0) l top
大分日差しも暑くなり、夏の訪れを日に日に実感する今日この頃です。

カウンセリングでは原則として原因探しはしません。
例として「なぜ?」という質問は極力しないようにしています。

結論を言えば、「なぜ?」と聞いたところで、またその理由がわかったところでどうすることもできないからです。

例えば、対人恐怖症の人がいるとします。
なぜ、人が怖いのか。
これがわかれば対処法も見えてきて、解決策が見えてくると考えがちです。

でも実際はそうではないことが多いです。
「なぜ?」と原因を探した結果、その人はどうやら過去にいじめられたことがあって、それで人が怖くなってしまい、外に出れない、仕事ができない、人としゃべれなくなったのだと分かったとします。

もしくは、過去に両親に自分の主張を受け入れてもらえない経験を常に体験し続けたため、人が怖くなったのだと原因が分かったとします。

どうでしょう?
どちらも過去にトラウマがあったために対人恐怖症になったのだと理解できますが、対処法や解決策はどうでしょうか?


対人恐怖症の解決法は、例外はありますが、原則としては怖いのを我慢して人と会い続けることで慣れていくしことです。
ただ、その恐怖は非常に強固であることが多く、そんな簡単にできるものではありません。
また原則的な解決法は同じですが、人によって柔軟にやり方を変えていく必要があります。
(そのため、カウンセラーや医師などの専門家と一緒に取り組んだ方がいいでしょう)

そして、「どんな」人と会えば怖さはマシなのか、怖い時に「どういう」対処法を取ればいいのか、「どのように」練習をすればいいのかを知ることが必要です。
また人と会うときに実際に自身の反応として「何」が起こっているのか(どんな感情や考え、そして何をしているのか)を知る必要があります。

つまり、「なぜ?」ではなく、「どのように?」「何を?」という質問がカウンセリングでは大切です。これは対人恐怖症だけでなく、様々な人のカウンセリングに共通することだと思います。

「なぜ?」は過去に戻る質問であり、見つかったところで未来につながらないことは多いです。
むしろ「これが原因でできなかったんだ」と知ることにより、できない言い訳につながってしまうこともあります。

このことは人間関係にも当てはまるのではないかと思います。

続き:「なぜ?」ではなく「何?」「どのように?」を
2012.06.26 Tue l カウンセリング考察 l コメント (0) トラックバック (0) l top
私は現在、心療内科や学校でカウンセリングをしています。
その中でよく感じることは「カウンセリングって単なる癒しではないな」ということです。

もちろんクライエントの方が安心して話ができる雰囲気は大切ですし、話すことで心が解れたり、スッキリしたりして「明日も頑張ろう」と思えるエネルギーを得られるという側面もあります。
何より、「カウンセリングを受けて気持ちが楽になった」と感じることはとても大切なことだと思います。

しかし、それだけなら周りの人に話を聴いてもらえば十分ですし、カウンセラーの資格など必要はないと思います。(もちろん、カウンセラーにしか話せないことを話せることはとても必要だと思います)

カウンセリングがカウンセリングたるものになるためには、「洞察」「気づき」が必要です。
つまり、自分が悩んでいることの意味や自分自身が本当はどう感じていてどうなりたかったのかがわかること、現状を適切に理解し把握できること、そして今の状況を打破するためにどうできるかが見えることです。

これらができて初めてカウンセリングになるのではないかと思います。
これらの過程はクライエントのペースに沿って進めるのですが、その中でどうしてもクライエントが向き合いたくない側面に向き合わざるを得ない時が来ます。

私たちはどうしても自分の嫌な側面や向き合いたくないことから逃げようとしてしまいがちです。
それは見るのが辛いからだということもありますが、もう一つはどう向き合えばいいのかわからないからです

そのため、カウンセリングではただ話を聴くだけではなく、クライエントがちゃんと逃げずに自分を見つめることができるように進めていくことが必要です。

当然そこには危険や困難が付きまといます。

できればクライエントのペースに沿って、安心して向き合うことができるようにしていくことが望ましいのですが、それでもクライエントに相当の負担となってしまうことも少なくありません。
(もしかすると、私の腕の未熟さからかもしれませんが)

しかし、真剣に話を聴くことで、クライエントはカウンセラーを信頼してくれるので、必死に自分から逃げないように踏ん張ってくれることも多いです。

しっかりと自分の嫌な面から逃げずに、成長されたクライエント見ると私は尊敬を念を感じずにはおれなくなります。

以上の話を要約すれば、カウンセリングとは単なる癒しや心が軽くなるのではなく、時にはかなり苦しい過程があり、それを通してクライエントが成長していくのを支えていくことが大切ということです。

でも、もちろんカウンセリングは楽しい、癒しの側面も大切です。
癒しと苦しみの両方があって人はより良く成長できるものではないかと思います。
2012.06.20 Wed l カウンセリング考察 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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