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こんにちは。

いかがお過ごしでしょうか?

最近は「嫌われる勇気」について考えたりしています。



「嫌われる勇気」という言葉を称賛する人と、嫌悪する人の両方がいますね。

私個人の見解としては、「嫌われる勇気」という言葉はどうかなあ・・・って感じです。

だって、嫌われるって相当苦しいですよ。

私は人間関係で、思いっきり嫌われた経験が何度もありますが、あの居場所が思いっきりなくなってしまって、自分でもどうしようもない無力感は相当なストレスでした。

自分を嫌っている人がいるってだけで、かなり苦しいものがあります。

なので、自分から「嫌われる勇気」を持つなんて嫌だというのが私の見解です。

ただ、「人から好かれよう」というのもあまり好きではありません。
人から好かれるようにというのは、これは外的コントロールです。

相手が「自分を好きになるよう」変えていくというニュアンスを含んでいます。
アドラー心理学的に言えば、神経症的な行動です。
これらの共通点は、「自分ではどうしようもできないこと」ばかり見ようとしてしまい、結果としてストレスをため込んでいるということです。

だから、最近は「人から好かれなくてもいい勇気」というぐらいが私にはしっくりきます。

ちなみに、「人に好かれなくてもいい」=「自分勝手に生きていい」という意味ではありません。

人に好かれなくてもいいということは、
今ここで自分にできることを実践していくということ。
人の評価に左右されないで、自分ができることを見つめ続けるということ。


ただし、周りの人の助けになるようにほんの細やかなお手伝いはし続けること。
お互いに助け合うこと。そこに見返りを求めないこと。


上記は全てアドラー心理学でも選択理論心理学でも言われていることです。

まあ、「人に好かれなくてもいい勇気」も「嫌われる勇気」も中身としては一緒なんですけどね。
ただ、ニュアンスとしては「好かれなくてもいい」という方が自分には合っていると思います。

でも、「嫌われる勇気」というのはやはりインパクトがすごいですね。
やはりこういうタイトルというのはマーケティングの世界ではかなり大事だと思いました。
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2016.09.30 Fri l アドラー心理学 l コメント (0) トラックバック (0) l top
お久しぶりです。

久しぶりに記事更新しました。
いろいろと問題や苦しいことはありますが、何とか過ごせている状況です。

本当にいろんな方に迷惑をかけながら生きています。
そんな私を支えてくださっている人たちに感謝です。

さて、最近ですが、昔、不登校になった子どもが爆弾魔になってしまい警察に捕まってしまった事件の紹介をテレビで見ました。

かなり昔の事件なので、不登校について全く理解がなかった時代の話です。

この当事者の子どもは不登校になって本当に苦しかったんだなあと思いました。
苦しかったからこそ、何とか自分を生かさなければと思い、爆弾魔という選択をしてしまったんだと思います。

誰かが、この子の苦しみを理解して、寄り添うことができたら、別の道を選ぶことができたんじゃないかと思うと胸が苦しくなります。

不登校の子どもは、みんなが学校に行かなくって幸せだ!!さぼって幸せだ!!とは思っていません。

学校に行けないことに苦しみや葛藤を抱え込んでいることが多いのです。

そして、その苦しみから逃れるために、学校を上質世界から切り離したり、ゲームに依存したり、最悪は自殺を選んでしまうことになります。

それくらい学校に行けないことは苦しいことなのです。

もちろん、不登校なりたての頃は、そんな気持ちなんて微塵もないでしょう。
しかし、徐々に雪だるまのように学校に行けない自分に嫌悪感を感じ、苦しくなってしまうのです。
その結果、一切感情が出てこないこともあり得ます。

今回、こうした子どもたちに対して、彼らを支える親に対して、私は親の会を立ち上げようと決心しました。
ありがたいことに協力者もいます。本当にありがたいことです。

まだまだ事情により、このブログでは明記できませんが、
興味ある方、参加したい方、また私と会いたいという方はお手数ですが、
右下のメールフォームより一方ご連絡ください。

親の会の日時や内容等をお伝えさせていただきます。

ではでは、どうぞよろしくお願いします。

2016.09.23 Fri l 不登校 l コメント (2) トラックバック (0) l top
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アンチエイジングの意味