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カウンセラーの仕事をしていると、常識と非常識について悩むことが大変多いです。

これは河合隼雄先生も、「臨床家は日常と非日常の狭間にいるんだ」といっていますし、この辺りカウンセラーの仕事で一番難しいところかもしれません。

具体的に言えば、
「学校や会社に行くのが常識」
「学校では勉強を、会社では仕事をするのが常識」
「上司や親からの言うことに従うのが常識」
「不倫や浮気はしないのが常識」
「子どものためには離婚をしないのが常識」
など、いろいろありますね。

カウンセリングに来られる人は、この常識になかなかなじめず、それで苦しい思いをしているケースが多いのです。
例えば、不登校や職場不適応のケースなどがありますね。

職場で仕事をしたいが、職場の雰囲気になじめず、頑張ったけど結局オーバーヒートになり、うつ症状が出始めて休職しないといけないケースもあります。

この人は、カウンセリングで「仕事をしたくない。もう自分がイヤだ」と職場への拒否反応を訴えます。
話を聴いて、経緯を聴くうちに、確かにこの人がボロボロでも職場に行きたくないという気持ちは痛いほどわかります。

しかし、世間からは「なまけだ」「そんなんでは社会人として失格だ」という声も聴きます。
確かに、常識としては社会人としては何とかして仕事についた方が良いし、でもこの人の気持ちから「行きたくない」という思いも痛いほどわかります。
そうした中で、「どうしたらいいんだろうか」とカウンせラーは悩みながらクライエントと会うことが多いのです。

さて、その常識というのは、誰が決めるのでしょうか。


選択理論心理学のグラッサーは、「現実とは権力を持った人が決めるもの」と断言しています (チャート・トークより)

例えば、警察がメーターを持ってきて、「時速60kmの道を、80kmで走ったから、交通違反だ」と強く言えば、いくらあなたが「そんなに出していない」と主張したところで、警察の主張の方が「してはいけいないことをした」という「現実」として扱われてしまいます。


この「現実」を「常識」として捉えなおして考えてみると、私たちの常識とは常に力のある人、権力を持ったのものが決めるものだといえます。

さらに、この権力を持ったもの(人)について、少し考えてみましょう。
一番の権力者は「自然」です。
災害には勝てません。雨が降ったら風邪を引かないよう傘をさす、お腹が減ったらご飯を食べるという常識は、自然の成り行きです。人は必ず死にます。生き抜くのに達者な人はこの「自然」を味方につける術に優れています。

その次の権力者は「群衆」です。
自然という権力者に対抗するために、我々が考えた権力が「群衆」「人の集まり」なのです。私たちは、人との居力がないと、自然の中で生きていけません。

そしてその次が「支配者」です。
群衆をまとめ、自然に対抗する戦略を練るのが「支配者」です。

ちなみに、なぜ「群衆」が「支配者」よりも権力が強いのか。
例えば、いくら教師という「支配者」が、子どもに権力を使っても、クラスの子ども達という「群衆」がそっぽを向けば、学級は崩壊します。

どんなに優秀な支配者でも群衆には勝てないのです。そして、群衆を味方にする才能に秀でた人が「カリスマ」と呼ばれます。しかし、ヒトラーや多くのカリスマ独裁者にみられるように、群衆を敵に回すと、支配者は勝てないのです。

ちなみに、カウンセラーや医師、弁護士など、特定の専門家も状況によっては「支配者」となり得ます。

最後に「個人」です。
個人が一番権力がありません。基本的に無力です。
個人が正しいといくら主張しても、群衆が「それは間違っている」と言えば、それは間違いになります。
これはガリレオ・ガリレイの地動説が当時は受け入れられなかったのを見れば容易に察しがつくと思います。

個人が正しい仕事をしても、上司₍支配者₎が間違っていると言えば、その仕事は悪い仕事という評価をもらうのです。
また、才能・知識・経験・地位がない人は、いくら主張しても、思ったことや意見が通ることは難しいです。ない人よりも、ある人の方が権力を持っているからです。

常識は誰が決めるかと言えば権力を持った人が決めるものです。
そして、常識ある人というのは、権力を持った人か、権力のあるものと付き合うのが上手な人です。
そして、権力のある人というんは集団を味方につけられる人です。集団を敵に回す人は、そうした権力はまず長続きしないでしょう。

上記は、私が車を運転しているときに、フッと閃いた発想のようなものです。
なので、お遊び程度に受け取ってもらえればいいのですが、カウンセリングでは権力者からの状湿気に振り回され、ボロボロになった方が多く来られます。この時にクライエント個人が抱いている常識だけに囚われてしまうと、「自分の常識だけが一番だ」ということになり、大変危険な状況に陥る可能性もあります。

そうではなく、周り、その場の状況が決めている「常識」をしっかりと見つめていくことが必要だと思います。
その中で個人と環境の常識のズレをしっかりと見比べて整理していくことで、その人が「そっか、じゃあこうすればいいんだ」と気づくこともあります。

今回は、ちょっとした発想を広げた形で常識について書かせていただきました。
基本、個人の主張は強い権力には勝てません。だからこそ、世の指導者は「群衆」という権力を味方にしていくことで発展と革命を起こしてきたんだろうと思います。

また、この視点を持つだけでも、カウンセリングで援助にはかなり役立つのではないかと思います。



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2014.09.04 Thu l その他 l コメント (8) トラックバック (0) l top
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コメント

Re: No title
返信ありがとうございます。

何かあったのかな・・・と思ってしまうのですが・・・。

法や裁判は皆さんが安心して生きていくためのルールなのですが、
ルールを守るためには見せしめがいるんですよね。

ただ、この見せしめは間違っていても、
裁判官そうだと言えば正しいことになってしまうので注意が必要です。

これは裁判官だけでなく、マスコミや警察官、
そして我々臨床心理士も同じことが言えますね。

権力のある人の言うことは基本はかなりの力を持っているので、
間違ったことも正義になってしまうのです。

この中で我々がどう生きるか、
本当に大切なところですよね。

2014.12.19 Fri l 田中勝悟. URL l 編集
No title
返信どうも。
話逸れちゃいますが法・裁判と言うのは「見せしめ」が目的で正しく裁くシステムじゃないんですよね。
中には「正義」だと妄信してる人がいる気がして
心休まりませぬ(;ω;` )
2014.12.18 Thu l 汐華. URL l 編集
No title
汐華さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

> 「私は殺人を犯していない。これが事実であっても裁判で有罪判決が出れば私は殺人者である」と言う事で間違いないですか

→ その通りです。例えば、冤罪というのは、裁判官という権力者が決めたことが常識になってしまうということを端的に現しています。
ただ、そういう場合は、より強い権力者手を借りることで変えることが可能です。例えば、天皇からの恩赦、署名活動や世論の変化など。その意味で情に訴えるというのは、空気や雰囲気といったより強い権力者を見方につけるという試みなのです。

この記事の内容を理解できればより良い戦いかたのヒントになると思います。

よい質問ありがとうございました。
2014.12.17 Wed l 田中勝悟. URL l 編集
No title
ちょっとわかりづらい部分があったので質問。
>警察がメーターを持ってきて、「時速60kmの道を~
の所ですが
別例えに言い換えると
「私は殺人を犯していない。これが事実であっても裁判で有罪判決が出れば私は殺人者である」と言う事で間違いないですか( ・ω・)モニュ?
2014.12.16 Tue l 汐華. URL l 編集
Re: No title
原田さん
コメントありがとうございます。いつも読んでいただいてありがとうございます。

常識って基本は「空気」「雰囲気」が作るものだと私も思います。
ただ、それらも自然には勝てない。
だから、自然→群衆の順番なんだろうと思いました。
群衆=空気・雰囲気と置き換えてもいいかと思います。

> 「僕はこう思うねん」と言う誰かの主張に「僕もそう思うわ」「うちも」が増えて「空気」と言うモンスターになって人間の上位概念として形成されている気がします。

→常識=当たり前であれば、当たり前というのはだれが作るのだろうか…という着想から展開して論じたのですが、原田さんの捉え方は非常に鋭いと思いました。空気というのはモンスターなんですよね。
特に日本はこのモンスターが支配しているようなところがあり、「空気が読めない」人は苦労しやすい傾向にあります。
逆にこのモンスターを察知して上手に寄り添える力を持った人が、社会の中で立ち回りやすくなると思います。

> 少し前までは右肩上がりで先人達が作ってくれた常識や価値観に乗っていれば何とかなったんですが高度情報社会(相互評価社会?)に移行する中で単一の常識や価値観だけでは立ちいかなくなってしまってる事で潜在的にカウンセリングを必要としてる方は増えてると思います。

→まさにその通りだと思います。個人の価値観と世間が作った・または作りつつある常識との間でもがき苦しんでいる人は本当に多いと思います。だからこそ、そうした方にカウンセリングというアプローチがいるんじゃないかと思うのです。

> 個人の常識と社会の常識(最大公約数の幸福)の共有ゾーンを見つける事が大事だと思います。

→ここは選択理論でいう「上質世界のすり合わせ」に相当する部分です。そうですね、この辺りをいかに見つけていくか、そうしたお手伝いを私たちがいかにできるかが大切なんだと思います。

ありがとうございました。原田さんのおかげで私も整理ができたところがあります。
また、都合が合えば、研究会にいらしてくださいね。

2014.09.08 Mon l 田中勝悟. URL l 編集
No title
先生のブログは面白くて毎回拝見させて頂いてます。

馴染んでる常識、価値観、概念って「昔から当たり前にある振りをする」ものだと思っています。

恋愛の概念も恋愛結婚の比率がお見合い結婚を抜いた60年代中盤以降に出来たものですよね。

「僕はこう思うねん」と言う誰かの主張に「僕もそう思うわ」「うちも」が増えて「空気」と言うモンスターになって人間の上位概念として形成されている気がします。

少し前までは右肩上がりで先人達が作ってくれた常識や価値観に乗っていれば何とかなったんですが高度情報社会(相互評価社会?)に移行する中で単一の常識や価値観だけでは立ちいかなくなってしまってる事で潜在的にカウンセリングを必要としてる方は増えてると思います。

個人の常識と社会の常識(最大公約数の幸福)の共有ゾーンを見つける事が大事だと思います。
2014.09.07 Sun l 原田. URL l 編集
Re: タイトルなし
なみさん、こんにちは。

> 迷ったとき、どうやって、決めたらいいですか?モヤモヤする。

→なみさんは迷った時、どんな風に決めていますか?
モヤモヤするというということは、決めたけど「何かなあ・・・」としこりが残ったような感じですか?

なみさんはどんな風に決められるようになると良いでしょうか?

質問ばかりですみません。
ただ、短かったので、私としてもどう答えていいかわからず、できればなみさんのお気持ちを教えていただけると幸いです。

あと、この辺りはカウンセリングの範疇にもなってくるので、もしなみさんが必要があると思えば、カウンセリングでも大丈夫です。スカイプもしています。あと、なみさんがよろしければ、メール相談もしています。

メール相談について
http://counselornotubuyaki.blog.fc2.com/blog-entry-341.html

出張カウンセリング
http://counselornotubuyaki.blog.fc2.com/blog-entry-313.html

スカイプの場合は興味があれば右のメールフォームから連絡くだされば手順についてお伝えします。

それでは。
2014.09.06 Sat l 田中勝悟. URL l 編集
迷ったとき、どうやって、決めたらいいですか?モヤモヤする。
2014.09.06 Sat l なみ. URL l 編集

 

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