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発達障害という診断名は学校や医療現場などで、簡単に使われるようになりました。
あなたはADHDだ、あの人はアスペルガーだ、私はLD(学習障害)だ…などなど。発達障害が市民権を持って幾月か経っています。

ちなみに、私は今日は障害を持ったお子さんの療育の仕事をしてきました
障害と言っても軽微なものではなく、特別支援学校に行っているような子供が対象の仕事です。言葉がしゃべれない、パニックになったら手がつけられないようなお子さんと関わっています。ダウンや重度の自閉症のお子さんとも関わります。その中で、子どもに合った療育プランを適宜考え、実践しています。

そうした子どもたちと関わっていると、気軽に発達障害と呼んでしまう風潮にどうしても疑問を感じずにはいられません。
障害と呼ぶ場合、それは仕事や日常生活で支障が出るものを指します。

例えば、肢体不自由という障害は、移動や日常生活に確実に支障が出てきます。
だから車いすというフォローが必要なのです。

困った子=発達障害ではありません。
が、「困った子=発達障害だから」という風潮は学校現場や医療現場でもかなり見られます。
(まあ、気持ちはわからないでもありませんが・・・)

例えば、教室で暴れる子に、すぐにADHDという診断を付けたところで一体何が変わるのか。
大抵の処方は薬を飲んで落ち着きましょうというくらいの支援。後は補助が付く程度でしょうか。
実際には、担任が変われば、すぐに教室内で暴れることが一切なくなるというケースも多々あります。
よく聞くと、前の担任は「すぐに怒鳴る、叱る、悪いところばかり言う」対応で、だからそれに反応してその子も「教室で暴れる」反応を起こしていたとのこと。
もちろん、子供自身の成長もありますが。

これは担任との相性が悪かっただけなのではと思います。

ちなみに、発達障害の診断ですが、神田橋條治先生の追補 精神科診断面接のコツでは診断について3つの機能を上げています

一つは医師が患者を見立て、処置法を決定するための指針
二つは専門家同士で、患者の症状や病態を簡単に共有するための言語としての意味
三つは患者に症状や治療方針を説明するための道具
(わかりやすくするため、多少噛み砕いて書いています)

これらを「発達障害の診断」という観点から見ると、
「こういう風に治療、指導し、関わったりフォローすればこんな感じで良くなるだろうという方向性を見出すもの」
「教師、親、スクールカウンセラー、医師などの間で『こういう子どもなんだ』と簡単にイメージを共有しやすくするための言葉」
「親や子供に対して『こういうふうにしていけば大丈夫だよ』と安心感を与えるためのもの」
と、考えることができるかもしれません。

そして、大切なことはもしADHDとや広汎性発達障害という診断名は、大人が子どもをどうするかというために使われるのではなく、「現に困っている子どもをどうフォローしていくか」に焦点を当てて用いられるべきだということです。

「あの子は広汎性発達障害だから空気が読めなくても仕方がないよね」
「ADHDだから注意散漫で衝動的なのは仕方がないね」
ではないんです。

実際にそれで困っているのは子ども自身のはず。
発達障害の傾向がある子どもは、多々自尊心が低下している場合が多く、何をしても「したくない」とやる気がなかなか出てこないことも多いのです。

これは出来ないことが人よりも多かったために、達成感、充実感、つまり「俺ってやればできるんだ」という実感が乏しかったために起こるのです。
困っていないように見える場合は、「困り方」がわかっていない場合もあります。
困り方がわからないということは、壁の乗り越え方わからず、常に「俺はできないんだ。じゃあ、頑張るのをやめよう」と思うようになります。中学生になって、このような子どもは比較的多くみられます。人は取り残されるとなかなか頑張れないものなのです。

だからこそ、頑張り方が見えてくるように周りの大人たちがしっかりとフォローしていくことが大切なのです。

そのための方向性を見出す指針として、
また親や教師が子どもを理解するための共通言語として、
発達障害とは言わないまでも
「あなたはここが苦手だから、これができるように頑張っていこうね」と子どもに伝えるための道具として、
この診断名を使っていくことが大切ではないかと思います。

私はカウンセラーですので発達障害という診断名を使うことはありませんが、教師と子どもの関わりを見て「あの子はADHDのような傾向があるからこう関わって、このように指導すると上手く行きやすいですよ」とあえて診断名を使う場合も稀にですがあります。要は子どもとの付き合い方や指導のポイントを伝える道具として使うのです。
まあ、大抵は気質分析で十分なので、発達障害の診断名が必要になるケースはほとんどありませんが・・・。

発達障害の診断名はより良い支援へと先へつながるために使うべきだというのが私の考え方です。

要は安易な使われ過ぎが問題であって、しっかりと賢くこの診断名を有効活用していってほしいというのが私の願いです。


↑神田橋先生の発達障害に対する理解と支援の仕方があますことなく語られた良書です。発達障害の当事者、作業療法士、臨床心理士の方たちとの対談形式で、本当に読みやすいです。おススメの一冊です。



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2014.06.27 Fri l 発達障害 l コメント (0) トラックバック (0) l top
心理カウンセラーの田中勝悟です。
今回は私が思ったことをそのまま書来たいと思います。
(まあ、いつもと同じですが)

アスぺルガー障害(自閉症スペクトラム)という名前が出るようになって久しくなりました。今でも患者さんが「私アスペルガーですか?」と相談しにきたり、学校でもそのような子どもの対応に苦慮している教師の姿が多々見られます。

日本ではアスペルガー障害と聞くと、どうも否定的なニュアンスを持たれがちです。空気が読めない、変なこだわりを持っている、社会性がない・・・まあ社会に適応しにくいというイメージが強いだろうと思います。

ちなみに、欧米ではかなり肯定的に見られています。
前ニュージーランドの方が「僕の弟はアスペルガーなんだ!!」と誇らしげに語っていたのを思い出します。欧米では「特別な才能を持った素晴らしい人」と見られることが多いようです。

そのため、欧米では彼らが生きやすい配慮がかなりされています。例えば、アメリカのマクドナルドはアスペルガー障害の方が働きやすい取り組みを会社全体でしています。具体的には、「ハンバーガーは15分後には必ず捨てる」とか視覚的な配慮がシステマティックにされています。

また欧米では個性を尊重する文化があります。「個性を尊重」というと聞こえはいいですが、それは自己主張ができないと受け入れてもらえない文化と言うことです。そして欧米では自分の意見を言う時には必ず理由も言わないといけません。嫌なら嫌な理由もしっかりと伝える必要があるのです。

逆に日本ではこうはいきません。日本は個よりも集団を尊重する文化です。その最たるものは「相手の空気や場の流れをしっかりと読む」「相手の気持ちを察する」というところでしょう。日本では集団の空気を読まないと生きてはいけません。

欧米では会社が不正をすると社員がかならず摘発をするのですが、日本ではなかなかそれができにくい面があります。「思ったことをすればいいのに」と思っても、集団を考えると自然にブレーキを踏んでしまうというのが日本人の特性だと言えます。


そうです。日本の文化というのはアスペルガーにはかなり過ごしにくいところがあります。上記のことはアスペルガーにとって苦手分野です。彼らと会っていると本当に日本は彼らにとって生きづらいんだなと思うことが多々あります。

しかし、だからといって
「アスペルガーだから日本は生きづらいのは仕方がないよね」という分けではありません
(ここすごく大事なところです)

生きづらいよりも、少しでも生きやすい方が良いに決まっています。
もちろん、それには周りの理解が必要です。
そして周りの理解だけではありません。
アスペルガー当事者も周りのことを理解していくことが必要なのです。

「いや、それができないのがアスペルガーじゃないの?」
という声も聞かれます。
しかし、「できないことをできるようにする」ことが障害者教育ではないかと思います。できないままであれば、より一層困難な状況に陥ります。
社会はできない人に対して寛容ではありません。
アスペルガーの人は日本がどういう文化の国かを知り、その中で生きていく術を身につけていく必要があります。具体的にどうすればいいかは、文章が長くなるのであえて書きませんが、日本で生きにくいのがわかっているからこそ、どうすれば生きやすくなるのかを考えていくことが大切だと思うのです。



↑日本の文化の特徴と言う面について参考にさせて頂きました。メールの特徴に書かれている本ですが、後半は日本人の対人関係のあり方の変化について書いています。10年前の本ですが、非常にうなずくことばかりです。世代間のコミュニケーション、今の若者や年配の上司との会話に悩んでいる人はぜひ読んでみることお勧めします。



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2013.05.25 Sat l 発達障害 l コメント (0) トラックバック (0) l top
心理カウンセラーの田中勝悟です。

以前お話ししましたが、去年から療育の仕事をさせてもらっています。

参照:コロロの研修会に参加してきました

私はスクールカウンセラーとして、療育スタッフとして障害を持った子ども達に接する機会があります。そのため、教育現場での支援と、発達障害施設での支援の在り方を同時に経験させてもらっています。

その経験からで言えば、療育と障害児教育は全くの別物と言うのが私の印象です。療育とは治療教育のことで、脳の発達を促していくのが目的です。
そのため、脳の発達を促すような課題をしていくことが中心になります。例えば、サーキット遊びやリズム運動などは脳の感覚野や運動野の発達を促すことが目的となります。

その一方で、教育とは教えていくことです。障害を持った子どもが少しでも生きていくために、できることを増やしていくことが教育です。これには字を覚える、単語を覚える、計算を覚える、買い物を覚えるなども含まれます。

両者は目的が違うため本来は別物ですが、実際にはお互いに混ぜ合わせた感じで行われていることがほとんどです。例えば、「料理を作る」ということは料理の工程ややり方を学ぶという教育の面と同時に、色やにおい、味など五感を刺激する側面、つまり脳を刺激する療育としての側面があります。

私の感覚では療育と教育を分けた上でバランスよく取り入れている関わりをしている人ほど、子どもがしっかりと伸びる印象があります。
逆に教育か療育のどちらかの側面だけしか見ていない人の場合は余り伸びが悪いという感じです。

ちなみに、私の場合は昔遊び(けん玉、ビー玉、おはじき、折り紙、コマなど)を療育として取り入れることが多いです。実は昔の遊びと言うのは脳をフルに刺激させる遊びが結構あります。私の経験では、将棋をするだけで言葉がスムーズに話すことが出来るようになった子供もいます。

療育と教育と言う両者をしっかりと意識したうえで、お互いの良いところをしっかりと取り入れて、子どもの支援に役立たせていきたいものです。

あと・・・
特別支援教育と言うのがありますが、これは子どもの発達の個人差を見極めたうえで、しっかりと配慮しながら教育をしていこうというものです。「特別な教育や支援をしていこう」という意味ではありません。
ただ、子どもの特徴をしっかりと捉えた上で、きちんと配慮して関わっていく、少し丁寧にわかりやすい授業を心がけていくというのが本来の意味です。
なので、先ほどの療育と教育とはまた意味合いが異なりますし、単純に療育を教育に取り入れたものというわけでもありません。要はそれらをどう使いこなしていけるかですね。

私自身も精進していきたいと思います。



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2013.02.28 Thu l 発達障害 l コメント (0) トラックバック (0) l top
心理カウンセラーの田中勝悟です。

発達障害ですが、アスペルガーやADHD、LDなどが教育現場で聴かれるようになってかなりの年月が経ちました。確か、平成19年が特別支援教育が施行された日だったので、6年近く経っていると思います。

その中でいろんな疑問や現場の混乱の声を聴いてきました。
具体的には
「あれは性格や躾の問題ではないのか?」
「単なるわがままなのでは?」

私が聴いた話では、担任が変わったとたんにクラスで荒れだし、病院で検査を取ったら「発達障害だった」という声もあります。その講師の先生は「見過ごされていた発達障害の例」と話していましたが、単に相性の問題ではないかと思うのは私だけでしょうか

近年は「発達障害ではないか?」と心療内科を訪れる患者さんも増えてきつつあります。

ちなみに発達障害がどれだけの割合かということですが、広汎性発達障害(自閉性スペクトラム障害)であれば4人に1人はいるだろうという話です。正直な話、それは障害ではなく個性として捉えるものではないかと思ってしまいます。

私は現場でその子の発達障害を理解する際に、以下の3つのポイントで考えるようにしています。

①性格的な問題はないか。
②家庭教育や成育歴の問題はないか。

まず、この2つは外せません。単純に、「教室の外に走り出す子ども=発達障害」と見なすことはまずしません。もしかすると、もともと性格面で気に入らないことがあると我慢できないタイプかもしれません。
この辺りは子どもの基本的欲求を見れば比較的簡単に見分けることができると思います
もしくは、家庭環境が安定しておらずで情緒が不安定なのかもしれません。中には家庭の事情でそうしたスキルが身についていない場合もあります。

③発達的にアンバランスな面がないか。

その上で発達面をしっかりと見ていくとより良い支援へとつながるのではないかと思います。
例えば、力の欲求が強い子どもは上手く行かないとすぐにパニックになったりやる気をなくしたり、すねたりなどの行動を起こすことがあります。そして、そうした子どもが発達にアンバランスな面が多くあって、できないことが多いとなるとどうでしょうか?恐らくできない事ばかりで、頻繁にパニックを起こすことが予想されます。その場合は本人の力の欲求をいかにして満たせるように指導するかと言う視点で見ていくと良い着眼点が見つかることがあります

その子供の欲求充足と言う視点で支援をしていくこと、そしてその上で、どう発達のアンバランスな面を補っていくかが大切です。

また一口に発達障害と言っても、化学物質過敏症や視覚障害、水銀などいろんな要因が絡んでくることがあります。

例えば、カゼインやグルテンなど特定の物質に反応してしまい、発達障害のような症状を出してしまう人もいます。

参照:息子の自閉症が治った


単に「こういう行動を起こす=発達障害」というくくりでは子どもを支援することはもちろん、実態を把握することも難しくなるでしょう。

やはり性格や家庭環境などの要因もしっかりと見据えた上で子供の実態を知るための材料の一つとして発達障害の概念や知識を使っていきたいものです。



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2013.02.16 Sat l 発達障害 l コメント (0) トラックバック (0) l top
心理カウンセラーの田中勝悟です。

明日から神奈川のリアリティセラピー上級講座を受けてきます。
講師はあの柿谷正期先生ですので、どんな講義やワーク、カウンセリングのコツを学べるのか今からとても楽しみです。

去年から発達障害の療育の仕事をしているのですが、最近になって視覚トレーニングの大切さを痛感しています。
その理由は自閉症の子供や発達障害の疑いのある子どものほとんどが目を上手に動かすことができないことが多いからです。

これは例えば、ボールを投げてちゃんとキャッチできるかどうかを見てみるといいと思います。
ボールをキャッチするには、動くボールをしっかりと目を動かし、それに合わせて体を動かすことが必要です。これが弱いと、ボールを目で追うことができず、顔で受け止めたり、ボールが届く前に受けようとしてしまいます。

また黒板の字を板書できない子どもでは、もしかすると上手に目のピントを合わせることが難しいかもしれません。黒板とノートでは目からの距離がことなります。その都度ピントを合わせないといけないため、そのような子供にとってピントを合わすだけで大変な集中力とエネルギーを使うことになります。結果として、授業に集中できない状態になります。

さらに、全体を見るのが難しい子供もいます。どうしても部分だけしか見れず、全体を見ようとするとぐちゃぐちゃになってしまうタイプの子供です。この場合良くあるのが漢字がわからないということですが、ほかにも相手の表情を把握するのが困難になり、結果として気持ちを組むのが難しくなります。

逆に部分をしっかり見つけるのが難しい子供もいます。この場合は、ぶつかったり、物をなくしてしまったり、急にものが消えたように見えてしまったりしてパニックを起こすこともあります。

これらの行動はADHDやアスペルガーの子どもが良く起こすものです。通常学級でも良くみられろと思います。
しかし、よくよく観察してみると、視覚機能に困難が見られることがあります。結果として、状況や周りを上手に把握することができず、適切な対処や行動をとることができない結果、発達障害の症状が見られる場合があります。

「もしかして・・・」と思ったかた、別の角度から見てみると突破口が見えることがあります。
その場合は視覚機能に詳しい医師や専門家、心理士に診てもらうと良いでしょう。


↑の本に視覚障害の見分け方と、視覚トレーニングの方法についてわかりやすく書いています。お勧めです。




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2013.01.10 Thu l 発達障害 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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